空港での用心


1998/08/22(土)




  関空から約二時間、大連に到着。
大阪の空はどんより曇っていたが、ここは小雨が降っていた。
飛行機の窓から見た空港の様子は同じジャンボが1機だけで
関空の喧噪さ、賑やかさに比べ、すごく落ち着いた雰囲気で小雨がいっそう、もの悲しさを助長した。
けど私はこういう哀愁の漂う雰囲気が好きである。
夕方の六時すぎであったが、空が曇っているせいかどんよりと灰色である。
そのどんよりとしたグレー色が一時間後の私の気持ちを先取りしている羽目になるとは夢にも思わなかった。

灰色の空に陽が沈みかけていた。

空港はすんなりと出れ、空港内の銀行で二万円を両替した。
1040元程であった。

両替を終えると
さっそく今夜の宿泊先であるホテルに着くべく、TAXI乗り場を探そうと思っていたが
思わぬところに伏兵が待っていた。

空港を出た、このときの心境は
(やったぞ〜とうとう大連に着いた! これから何が起こるのかわからないが
 とにかく始まるんだ)というワクワクした気持ちと共に

目に飛びこむ様々な中国語の広告看板、
中国語の世界が、雰囲気が、臭いが
(ようこそ!おいでやす)と手ぐすね引いて待っていて
その素朴な迫力にすぐに対応できず、ちょっと引いてしまうのであった。

出口にはあふれんばかりの人、人、人であった。
田舎のおっさん、おばはん、子供、幼児、老夫婦、熟年夫婦、
会社員風のスーツ姿、ツアーコンダクター、
皆々が笑顔で、よろこび
その雰囲気は、歓迎であった。

27kgのトランクを引き下げながら、歩いていると
そのなかのうちの一人(二十五、六歳)がつかつかと私に近寄り
日本語で
「私はタクシーの運転手です。どこへ行きますか?」と聞いてきた。

いきなりあやしいと思った私は
断るつもりであったが、今日泊まる銀帆賓館迄はいくらするのかと筆談した。
相場はどのくらいかと思ったからだ。

「How much?」と尋ねると
返答は200元であった。

暗算してみるとアバウトであるが約4,000円だ。
実際先ほど2万円を両替して
大きなお札は100元札が10枚、200元といえば
そのなかの2枚を使う。

とても高くて払えないので(というか神戸から関空のバスでさえ2,000円もしない)
歩きながら「No!」を連発し
TAXI乗り場を探すが、これが見あたらない。

大連の空港も
よくみると徳島空港並の規模だ。
国際便が発着するので、もう少し大きいと思っていたが
意外と規模が小さいのに驚いた。

関空から一緒に乗っていた乗客は日本の観光客もいたのだが
いつの間にか、どこかへ行っている。
あたりは中国語ばかり・・・。

TAXI乗り場が見あたらないので案内所へ行って教えてもらおうと思ったが
中国語、英語が浮かばない。なにぶんホテルまでのTAXIの相場が
わからないので困ってしまった。

そう考えるうちにも先の運転手が
180元ならどうか?150元ならどうか?と
執拗に聞いてくる。ますますあやしいのであるが
あんまりしつこいので
高いと思ったが100元ならO.Kだと答えた。

その運転手は困った顔をし、こう言った。
彼は高速道路の通行料が20元かかるので
150元だと言う。

彼の言ってることが正しいかどうかはわからない。
一度疑うとどこまでが本当でどこがウソなのかわからない。
27kgのスーツケースが重く、だるい。
小雨はやまない。日はくれていく・・・。
こりゃしようがないと思い、
英語で私が
「120元なら、かまへんがどないや?」と言うと
しぶしぶ彼も妥協した(ように見えた)。
彼が、
「ほんだら、今から車呼んできますわぁ〜」と言い、
その場を離れ、携帯で連絡をしたかと思うと
戻ってきて、トランクを持ち
「だんな!こっち、こっち〜」と先導する。

すると普通乗用車(おんぼろでなく、黒のこぎれいな乗用車であった)が
やってきた。
そのなかから角刈りのいかつそうな兄ちゃん(運転手)が出てきた。
その兄ちゃんは私に対しては無言で
全然愛想がない。
それだけに不気味さが増大した。

トランクに荷物を積もうとしたが、あまりに大きくて入らなかったため
後部座席に積んだ。

先ほどの運ちゃんが運転し、角刈りの兄ちゃんは助手席に、
私は後部座席に乗り込んで、いざホテルへと車は走った。

運ちゃんと角刈り兄ちゃんが
早口の中国語で何か話している。
「へへっ、今日は仕事にありつけましたなぁ〜」
「そうやな〜、おまえの日本語も役に立つなぁ〜」
「今日はこの金でパァーといこかー!」とでも
言ってるのだろうか、
何を言ってるのかさっぱりわからなかった。(笑)


座席の窓から見える大連の景色は
行ったことはないのだけれどTVの映像でみた北朝鮮の風景のような
何か物寂しい風景であった。道路の端に大きな企業の看板が見えるのだが
普通それがその国の意気というか覇気を感じさせるものなの(上海へ旅行したときはそう思った)だが
どうもそのときは、逆にもの悲しさを感じさせた。
小雨が降っており夜で人があまり歩いていなかったからかもしれない。

(ひょっとすると変な所へ連れて行かれるかもしれんな・・・)と
思っていたからかもしれない。

道中、日本語をしゃべるこの運ちゃんは
角刈りと話していたが、ときおり日本語でこちらに会話をしてくる。

いろいろ話をしていると
開発区には人があまりいないと言う。
私も渡航前、いろいろと地図を探してみたが
開発区の地図はなかった。大連市内からどれだけ離れているのかまったくわからない。
ホテルに着けば、あるだろうと思っていたが、
ハワイやソウルと違って、そんな気の利いたものなど置いてなかった。


道中30〜40分くらいだっただろうか
雨もやや強く降りだしてきた。そのせいか人はほとんど歩いていない。

(疑うとキリがないが)ひょっとすると
このまま訳の分からない処へ連れて行かれ
やっぱり200元だせ!とか有り金全部出せ!と言われても
この雨の降るなか重いスーツケースを持って
テクテク歩いたところで、とてもホテル迄着きそうにないだろう。
そういう最悪の事態も想像したが
幸いそういう場面に至らずホッとした。

ホテルに着き、さっさと120元を支払いホテルにチェックインした。
支払うとき、この運ちゃんは高速料金がどうだらこうたらで150元でと
未練たらしく、のたまっていたが
とっさに私は
「おまえ、さっき120でええ言うたやろ〜。そやから120な。ハイ。バイバイ」と言い
「サンキュー、サンキュー、謝謝!」と連発した。
仕方なく彼はあきらめた。
呼び込みのときのねばり強さ、しつこさは何だったのか?と思わせるほど
意外とあきらめのはやい、人のいい兄ちゃんでもあった。


さぁ、ようやくホテルに着いた。
正直、ここで一安心というか、気分が落ち着いた。

ともかくホテルに着いたわけだけれど
道中、言葉が通じないというのは
かなりプレッシャーというかストレスになる。
実感した。

一週間ほどの旅行ならいざしらず、半年間生活することを考えると
頭が痛くなってくる。
ものごと楽観的に考えるのはいいことだけど私の場合
すこし安易に考えていた。

〜したいとか質問といったフレーズなど
必要最小限の言葉は筆談でもいいから事前に勉強すべきだと思った。
しかしそれすらやらずに
大連に来たわけであるから
お調子者というか楽観的というか
普段は冷静で落ち着いていて「石橋を叩いても渡らない」私であるが、
ときとして「石橋を叩かずに飛び越える」私であった。
しかし長い人生、時に「えぃ ヤァッー」といった
後の損得抜きにやってみるのもいいかと思う。

ホテルの部屋のTVをつけても
勿論中国語ばかりで、しかもものすごく早くて全く聞き取れない。
今日とか数字くらいしか聞き取れない。
(こりゃ〜えらいところへ来てしまった)
(私は場違いな所へ居るのでは?)と情けなく
また自己嫌悪に陥った。

んが、1時間もするとすっかり忘れてしまう私であった。
(というか、情けなく思ったところでどうにもならないので対策を考えた)

ホテルの受付は少し日本語の話せる人がいたが
これから先、そんなに日本語を話せる人がいないことを考えると
無事大学に着き、張宇先生に会ってうまくコトがすすめられるかどうか
おおいに心配である。
明日困ったときを想定して、作文を作ろう。とてもじゃないが
これではやっていけない。

そうこうしているうちに腹がへってきた。
ホテルを散策し、2Fにレストランを見つけた。
客はまばらで日本人は見かけなかった。
席に着くと、若い美人のウェイトレスがやってきた。

メニューを見ると、値段が高い!
安いものは・・・と探してみるとカレーライスがあった。
とっさに中国のカレーライスとはどんなものだろうかと
興味津々で、カレーライスとサラダ、ビールを注文した。

ウェイトレスはさすがにサービスがしっかりしているというか
その所作、ふるまいは丁寧であった。

料理がでてくるまで、暇だったので
ガイドブックの地図を見ていた。
すると先ほどのウェイトレスがつかつかとやってきた。
彼女はおもむろにその地図を見た。

私は英語で
「このホテルはどこにあんの?」と聞くと
「ここには載ってません」とウェイトレス。
「だいたいこの辺かなぁ・・・」と彼女が指さしたのは
ガイドブックより約1Mほど離れた地点であった。

「ア、アカン・・・」
翌日市内へ出て地図を探そうと決めた、


そうこうしているうちにカレーがでてきた。
色が茶色っぽくなくて違和感を感じたが、このカレーはまずかった。
例えていうなら
レトルトパックに入ったカレーを温めずにそのまま出したような
(温かかったのであるが)トロトロ感のない
(これ、カレーって言うのか!? ◎☆◇▼・・!?)と思った。
ビールでほろ酔い気分になり部屋へ戻った。


大連に着いてから5時間半。
TVで唯一NHKの番組があり日本語を聞いている。
なぜかホッとする。
これから日々、目的意識を持って行動しないとやっていけない。
とりあえず明日は作文、作文。
                             〜PM11:45(中国時間)

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