ライン
中国の旅

旅順


1998年12月、とある晴れた日。
日露戦争の火蓋をきった旅順港を見ずして日本に帰れんな〜。そんな気持ちで
かねてから行きたかった旅順へ行くことにした。
大連渡航前にも昔観た映画『二〇三高地』を見なおし、司馬遼太郎の『坂の上の雲』、『明治という国家』ほか
日露戦争関連の書籍等を読み倒し、予習は万全であった。


以前、社内旅行で生まれて初めての海外旅行だったハワイの際にも、パールハーバー記念館を見学した。
真珠湾奇襲攻撃により、太平洋戦争へとつながったわけだけれど、
この旅順港奇襲攻撃は、日露戦争の発端ということで有名だ、そうな。
今迄、奇襲攻撃=真珠湾攻撃と思っていたのだが、日露戦争関連の資料を読むと
驚いたことに、日露戦争も奇襲攻撃で始まっていた。
つまり奇襲攻撃は、近代日本のお家芸という(悲しい)事実に、(戦争はいけないことだけれど)
弱者が強者へ立ち向かう現実的で、かつ最も効果のありそうな戦術に、
悲しいけれどその時代の人間の心意気というか
大国ロシアの南下政策に立ち向かう気概というものに深く感じ入りました。

そこで『坂の上の雲』を改めて寮のベッドで横になりながら、アリに噛まれながらも読み直し、
ふつふつと気持ちを高めて行くことにした。

汽車が大連駅から出ているのだけれど、大学(大連理工大学)に近い黒石礁のバス乗り場から
旅順行きのバスが出ているため今回はそれを利用した。
小公共汽車(ミニバス)で5元という破格な値段で約1時間強、工事中の道路を横目に
舗装中の道をゆられにゆられ、ときに飛び跳ねながら
『これ パンクやエンストすると、かなわんなぁ〜』と思いながらも無事たどり着いた。

バスが通っている大連〜旅順間の道路は所々工事中で、これができると物流の動脈になるのだろうか。
道中の景色は自然そのもので、なんら日本のそれと変わらない。異国にいる感じがしない。
やがて人家やマンションが見え始め、道がアスファルトに変わると、よくある中国の街並み。
あっという間にバスターミナルに到着する。なかなか立派なもので、旅順駅よりきれいで大きいかもしれない。
2Fが乗り場で、1Fは雑貨など商店が建ち並んでいる。さっそく旅順市内の地図を求めに本屋へ行くが、
発音が悪いのかディートゥが通じない。しゃーないので漢字を書いてもう一度ディートゥと言うと
「あぁ〜はいはい これやな」といった感じで、店主のじーさんが奥の方から出してくれた。
地図を見ながら一服し、さてどこから行こうかと思案する・・・。
(旅順市内詳細地図)
(旅順全体地図[旅順港の形がまるわかり地図]はこちら→ 16KB[小さめ] 272KB[大きめ]

二〇三高地は、市内より少し離れているので今回は却下。勝利塔や博物館があったので、
その辺から街並みを見てやろうと、てくてく歩くことにした。