ふと感じたこと2


1998/12/30(水)




 帰国する日も近づくにあたり、自分なりに見て感じた中国について考えてみる。
今TV(ニュース)をつけながら書いている。
私が純粋に中国に興味を持ったのは多感純粋だった小学生の頃だ。

 日曜日になると摩耶埠頭(ポートアイランドの手前)へ父、弟とつりに出かけた。
もっぱらサビキを使ったイワシやサバづりであった。
埠頭の先でつりをしていると外国の船員さんが寄ってくる。
何を釣ってるんだろうかと見に来るわけであるが、あるとき
中国の船員が寄ってきた。
父はブロークンであるがなんちゃって英語を話すので、英語で彼等に解説していた。
笑い声がおこり、雰囲気がなごむ。
帰り際、私は弟(5、6歳くらいであった)にサイコロキャラメルを中国人に手渡してこいという指令を出した。
最初弟は嫌がったが、「とりあえずニコニコして渡してくるだけや」と言い
弟はテクテク歩いていってある船員に手渡した。
弟曰く「何かようわからへんけど、持っていったわ」ということであった。
5分ほど経っただろうか、さっきの船員が袋を持ってやってきた。
弟に「来い、来い」と手招きしている。
弟がその船員の所へ行って帰ってきた。
弟の手にはたくさんの(中国の)飴があった。
弟が喜々として飛び跳ねていたのは言うまでもない。
その飴の味は忘れてしまったが、思い出だけは鮮明に残っている。


また神戸市は天津市と姉妹都市を結び
何かと催し物をやっていた。
催し物の外では屋台で天津甘栗を売っていた。うまかった。

国交回復後、神戸にもちょっとした中国ブームがあった。
多感な頃だけに、そのときの思い出は強烈に残っている。

また広島のじいちゃんが戦時中
満州へ船を作りに行ったという話を母から聞いた。
もともと広島で木造の小さな船大工の棟梁をしていた(会社経営していた)ので
ひょっとすると、満州のどこかでそれを作る必要があり
行ったのかもしれない。本当かどうか証明するものはないので
事実はどうかはわからない。とにかく行ったという話を聞いたりした。


その後、国語の授業で漢文を習った。
また古代中国の歴史に触発された。
もちろん受験勉強の域をこえない程度のものであったが
雄大で偉大な歴史を持つ子孫の国の文化、習慣にふれたいと思った。

また私は高校が普通校(葺合高校)であったが
周りに中華同文(中国人子息のいく学校)出身の友人達がおり
無意識のうちに中国に対する興味、関心というのがしみ込んでいった。

また元町には南京町という中華料理の店が集まった一帯が
身近にあり、それほど違和感はなかった。
以上が、時にからみ合い離れたりして、徐々にであるが
中国に興味を持っていった。

大学生の頃、中国留学を真剣に考えたことがあった。
真剣に考えれば考えるほど、資金的にきついことがあり
また天安門事件もあったこともあり、そのときは断念した。



話を戻して中国について。
細かい点を除けば生活するにあたっては大きな差はない。
西洋人達の生活と比べれば米はあるし、気候もそれほど変わらない。
細かい点というのは市場の流通経路の違いや
貨幣に対する価値観(お釣りを渡すときお金を投げるとか)、
服装に対する周囲の反応など
現在平和な社会で生活している私達には経済活動は生活の中で
かなりの比重を占めている。
経済活動の詰まるところは儲かるかどうなのかというところだけれど
中国に投資して果たしてそれがどうなのかということと
中国以外の国に対して投資してそれに対する見返りがあるのかと
考えてみるとやはり前者かなという気がする。
わずかながら中国で生活してみて日本が戦後驚くほど経済が成長した理由の
ひとつが見えた気がする。
ものをどんどん取り替える、買い換えする。つまりものを大事にして
使うという習慣がうすれてきたからではないだろうか。
日本では、ものが壊れるとすぐ修理して寿命がくるまで使い切るということが
習慣的に少なくなってきている。
リサイクルがあるにはあるけど、スーパーのように繁栄しているわけではない。
経済が発展する上では(流通をより円滑にするには)是非
浸透すべき悪しきこの習慣が、まだこの国では浸透していない。
香港やシンセンなどでは浸透しているのかもしれないが
まだこちらはそれほどではないように思う。
逆に今の日本で起こっていることがここで起こるようになれば
ゴミ問題が社会問題というか国と国との問題になると思う。
あまりにも人が多すぎるからだ。
人ひとりが生きていく上で必要な食料、ものがあれば
不要なものも必然的に発生する。
それを燃やすなり、埋めるなりどちらにしろ
かなりな作業が必要だ。
国の人口構成もいずれいびつな形になるだろうし問題も多い。

話はもとに戻るが
中国を勉強するということは
今迄『脱亜入欧』で西欧に顔を向けて生活してきた日本人にとって
アジア的というか過去や祖先から受け継がれてきた習慣を忘れない、
気づかせるという点では反面教師というか
大事なことであるように思う。





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