スイス人による日本料理観


2000/09/03




 私は二人部屋で生活していたが、同居人はスイスのベルン大学から来た
Franco Colomboという24歳の好青年であった。
背が高く(190cm)、ハンサムボーイであるが結構愛嬌のある
例えて言うなら、K-1のアンディ・フグによく似た社交的なスイス人であった。
よく一緒に飯を食いに行ったのだが、彼も我々同様に食には苦労していた。
彼の帰国直前頃の主食はクッキーとコーラであった。
あのでかい図体をクッキーとコーラのカロリーで維持するわけであるから
彼がやせたのは当然といえる。
来た当初ふたりで市内を散策していたとき、ケンタッキーやマクドを発見すると
いわく
「オレはあんなもんはあまり食わない」と強がっていたが
それから二ヶ月も過ぎた頃、
「チキン、チキン」とわざわざバスで出かけて
ケンタッキーへ足繁く通うフランコであった。
それでもメインはクッキーであった。



私や韓国人の金さんなどは、おかずが舌にあわないといっても
主食であるごはんがある。
炊飯器を買って、米を買えば
とりあえずごはんは食える。

それに対して、彼等にはそれがない。
私はそれまで、欧米人は主食がパンだとずっと思っていたのであるが
聞いてみると、スイスには主食はないということであった。
そもそもごはんのような主食という概念がないそうだ。
「強いてあげればパンが近いかもしれないが、
君たち(日本や韓国)のように毎日食べるごはんといったようなものはない」
と言われた。

ごくごく普通というか、当たり前すぎて疑問にすら感じなかったことなので
逆に、主食がないという民族がいるということが信じられなかった。

Francoは好奇心が強く、あちこち食べに行ったらしいが
一緒に飯を食ったある晩、こう言った。

留学生寮には
外国人教師が一緒に住んでおり、そこに英語の教師が住んでおり
Francoはその『イングリッシュ・ティーチャー』(我々はこれで会話していた)と
故郷の味というか、美味しい料理を探していたとき
ピザ屋をイングリッシュ・ティーチャーから紹介されたそうだ。
Francoは、ふだんから満足していなかった大連での食生活が
これで一掃されるのでは?と期待し、出かけたらしいが

食ってみたところ、とてもお国で言うピザの味ではなかったらしく、
かなりがっかりしたらしい。


そこで彼が言うに
アメリカ人と私は食に対する考えが違うということであった。
つまり「アメ公は雑食で、なんでも食べるが
我々欧米人は微妙な味覚を感じる民族なので
一緒にしてもらったら困る」といったものであった。

つまり
「そんなピザはピザとは言わない!あれはピザではないのであります!」
・・・・・・と語気を強めた。


その後話が中華料理に移った。
私は中華料理が大好きである。
働きだしてからというもの、
やれイタリア料理がどうだとかフランス料理がこうだとか言っている人達を横目に
「こいつら、アホちゃうか?」と思っていたが、よくよく考えてみると
私の場合、その欧州料理にあたるのが中華料理であった。
実は私も同じ穴の狢(むじな)であって
そういう人達をアホと思っていた私はアホであった。(笑)

初めての中国旅行(上海、桂林、西安、北京)で思ったのだが
旅行前は、神戸の南京町でよく食べに行っていたが
やはり本家本元、現地で作っている中華料理っつーのは、本場にはかなわないだろう。
そう思っていた。
しかしながら、現地で食したいわゆる中華料理は
およそ期待していたものとは似て非なるものであった。
「なんじゃ!こりゃ〜」の連発であった。

どうして美味しく感じないのか?
化学調味料で私の味覚が麻痺されているのか?と考えてみたが
日本では当たり前の
醤油やみそ、かつおのだしといった味のベースが
中国の場合、日本と違うのでそうなのかなと思ったりした。

その点、韓国で食った料理はほとんど(辛くなければ完璧)例外なくうまかった。
食に関しては、中国より韓国の方が日本と共通している部分が多いように思う。

クリスマスの日、留学生と老師達(30名くらい)で、市内で一緒に食事をしたのだが、
私の席にいた釜山出身の権さんなどは海産物を生で食っていた。
これには私はびっくりした。
ちょうど私の席の前に王老師(読解の先生、お上品で、控えめな、昔文学少女っぽかった雰囲気のある先生)がいたのだが、
私は権さんが生の牡蠣をコチジャンにつけて食したのを間近に見た
王老師の驚きの表情(「生はいかんぞぉ〜」という顔)は今も覚えている。
もちろん私も権さんの食うさまを見てびっくりした。
もっとも私の場合は王老師と違って
大連の海産物の新鮮さに疑問を感じていたので、
「こんなもん食った日には、ぜっったいっ、おなかピーピーになる」と思い
その行動、勇気に驚いた。
母が広島出身なので酢牡蠣は私もよく食べる。


で、話はフランコとの会話に戻るのだが
私は(中華は)結構油が多いし、辛いのがたまらない(あわない)と言うと
フランコも、それは私も同じだと同意した上でこう言った。

しかしながら日本料理は
寿司や刺身など生が多いじゃないかというのである。
つまり加工していない。工夫をこらしていない。

返す言葉もなく「うっ」と思ったが
よくよく考えると、なるほどおっしゃる通りで
日本の料理は西洋や中華と比べると加工の度合いが少ないように思う。
さばの塩焼きなど、さばを切って焼いて醤油かけただけだし、
すしも見た目は、シャリの上に切り身がのってるだけ。
刺身に至っては、切っただけ・・・のように見える。

もちろん、できあがる迄にはそれなりの課程を踏んでいるわけだけれど
見た目を重視するのかフランコにはそれが
工夫のなさに見えるらしい。

そういや、パンも小麦から作っていて
およそ、小麦の原型はとどめていないし、ケーキなどもそうであるし
ミンチ、ソーセージなどもそうである。

どちらがいいのかよくわからないが
西洋人は、原型がかげも形もない、人間の手によって加工されたもの、
そういったものが好きなのかもしれない。

そんなことを言われたり、考えてみたりすると
昔、日本人はどこからきたか?という本の中に
日本人ポリネシア人説というのを思い出した。
言語学や習慣が南洋諸島の民族と非常に似ていると書いてあった。

「そんなもんかいな〜」と思う今日この頃である。

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