授業開始


1998/09/01(火)




 朝七時起床。
フランコも共に起きる。
朝食としてナビスコのビスケット(ごま味、あまりおいしくないが
他に美味しいものもない)とチョコレートバーを食す。
中国に来て12日たつが、「これは!うまい!」と思ったものはほとんどない。仕方なく食っているが、
慣れるより他ない。
七時四十分、1階へ降りる。
先生らしき人一人と若い金髪青年の外国人二名がすでに居た。
どこの国の人かパッと見た目にわからなかったが、後で
彼ら二人が同じクラスだと判明する。共にフランス人であった。
一人が二十歳、もう一人が二十三歳と若い。
フランコはじめ学生ばかりで向学心旺盛だ。また私のような年齢の(社会人)人間はいなかった。
クラス分けが始まり、私とそのフランス人二名は同じクラスであった。
よく留学関係の書籍にある口頭試験といったものはなく、自己申告であった。
そもそも授業そのものがどんなものなのかわからない。
どんな教科書を使うか、どういう先生がいるのか全くわからない。
とりあえず生徒の自己申告、生徒の意志に任せて、授業を受けさせ
後でどうも自分にはレベルが低い、高いを判断して
臨機応変に変えさせてくれるシステムはよかった。
そもそも学問というもの
師から与えられるのを待つという受け身の姿勢でなく、弟子みずから勉強したいものを自分で考え
選択するものだと思う。事実小学生ではないのだし、ものの判断の付く年齢であるので
このシステムは進んでいると感じた。


宿舎から運動場を横目にテクテク歩き、7、8分程たっただろうか
我々の教室は、他の(中国人)学生と同じ建物の三階にあった。
机は大学の大講義室にあるような長椅子、長机が二列にわかれてあった。

教室にはすでに
王老師(精読)、張老師(会話)、別の張老師の三名が待っていた。
ニーハオしか話せない。

挨拶をすませ、王老師の発音の授業が始まった。
先生一人と生徒が三人。(日本人一名、フランス人二名)。

計二時間で、途中休憩が2回で計30分あったが、思ったより時間がはやくすすんだ。
発音はめちゃくちゃ難しい。
大学の時、中国語の授業をとっていたのだけれど
それと違う点は、授業中日本語がない分、疲れるけれども周りが外国人であるため
間違っても恥という気持ちはなく、なごやかな雰囲気のなかで
リラックスできた。

日本で販売している参考書には
発音のページには顔の断面図があって詳細に説明しているが
こちらの教科書に、そんな気の利いたものはない。
西洋人には難しいのでは?と思ったけれど喋っている人は喋っている。
繰り返し、見聞きするとできるようになるものなのか。
彼等(フランス人やフランコ)の努力には感嘆だ。
おまけに漢字(「晩餐」と書いたときは驚いた。未だに私は書けない)まで
書くのだから、とても驚いてしまう。
授業が終わって昼食をとった後、連日の食生活の不安定で体がだるい。寝てしまう。
「繰り返し聞いて話す」語学の勉強はこれにつきると思う。




フランコ・・・

同じ504号室の同居人。スイス人。24歳。
スイスのチューリッヒ大学からユーラシア大陸を飛び、やってきた。
彼は中級クラスで、中国語の会話は流暢であった。
身長は190cm程あるが肥満ではなく、先日亡くなったアンディ・フグのようなバランスのとれた体型であった。
オヤジがイタリア人で、おかんがドイツ人、一人っ子だそうだ。
恥ずかしいことに私はスイスにはスイス語というものがあると思っていたが、
スイスはドイツ語とフランス語に分かれているそうだ。
彼の母国語はドイツ語であるが、オヤジがイタリアなので少々喋ると言っていた。
後日、日本語の「鰹(カッツオ〜)」話で大笑いした。
また彼の英語は教科書ENGLISHを思い起こさせた。すごく丁寧に喋っていた。
バーで一緒に飲んでると「Can I〜」の使い方を指摘されてしまった。ウッ はずかし。
彼が部屋にやってきた日の晩に一緒に飯を食いに行ったが、
その際私は大学時代にドイツ語もとっていたので思い出せる限りドイツ語の単語を連発した。
すると英語で言うに「Nakamura-san! youは中国語よりドイツ語の方がうまい!」と指摘された。
ひょんなことでドイツ語が役に立った。
後日街をブラブラ歩いているときパトカーが目に入った。
私は思わず指さし「おっ ポリツァイ(警察)!」と叫ぶと、フランコは一瞬
「こいつ、何言うとるネン」という顔をしたが、「ポリツァイ」が通じたらしく、大笑いした。
こんなしょうもないことでも場の雰囲気が変わるものだと勉強になった。



後日談:

このとき文末に「繰り返し聞いて話す」語学の勉強はこれにつきると思う。と書いているが、
これ以降ずっと悩まされた。なかなか覚えられないんですよねぇ〜。
結局語学というもの頭の善し悪しではなく暗記するしかないのだけれど、
大人になればなるほど理屈で考えようとするクセがついてしまっているので困ってしまう。
発音なども 一定のルールがあるのだけれど、なかにはこのルールの範疇に入らない場合がある。
よく考えると矛盾しているのだけれど、よくよく考えてみると、
そもそも言葉というもの理屈から生まれたものではなく、
理屈はあとからこじつけのような形で作ったものもあるので、
これはそういうものなんだと丸ごと受け止めて暗記するのが一番近道であるように思います。
覚えるようになるまで書いて書いて話して話して、それを繰り返し、
忘れたらまた覚えるという地道な作業の繰り返しが肝要かと思います。
あと「なぜ?」という好奇心を忘れずに。

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