ボッタマン 分析と対策


この旅行中も、帰国してからも「どうしてひっかかってしまったのだろうか?」と自問してみた。

そもそものきっかけは突き詰めて考えてみると
金さんの「火を貸してくれませんか?」に始まっている。

では、あのとき
たばこを吸わなければよかったのか?と考えてみるが
あながちそうとも言いきれない。

弟が小便をすませておけばよかったのか?
そうとも言えない。


こちらが店を指定して飲みに行けばよかったのか?
う〜ん、これもそうとも言えない。

仮にこちらが指定した店で酒を飲み、
話がはずむ・・・。
やがて話が一段落つくようになる。
終わりのない話などないのだから。

一息ついたところで
おそらくボッタマン
こう言うであろう・・・。

「ひさしぶりに楽しい時間を過ごしました。もう1軒どうですか?
いい店を知ってるんです。韓国にせっかく来たんだから
ぜひ行きましょう!」と誘われてしまうと
その場の酔った雰囲気で、ついついのせられてしまうことだろう。



ボッタマン1号にとって
話しかけるきっかけは何でもよかったのでは?と思う。
例えば、そのままズバリ
「日本人ですか?」でもいいし、

挨拶を入れて
ボッタマン1号:「今日はホント寒いですねぇ〜(韓国語で)」
こちらは言葉が分からないので
「☆▼○■・・?」(何言ってるの?状態)

そこで、すかさず
さぞ驚いたように
ボッタマン1号「えっ!日本人の方ですか?私日本に留学したことがあるんです!」でもいいし、

つまるところ、
ボッタマン1号にしてみれば
我々はネギをしょってきた『カモ』なのであるから
初めから終わりまで
親切で、丁寧、しかも礼儀正しく、服装もスーツに身を包み
こちらの警戒心をとく。
(しかし、よくよく考えてみるとそんなスーツ着た会社員(ボッタマン)が一人で、そんな時間に
ウロウロしとるわけないっちゅーに!)





会話の節々に、
「私は怪しいものではありません」を匂わせる。

例えば会話のなかで金さんは
「私は早稲田大学で留学していました」と言う。
その言葉に
私は「早稲田に行ってたのかぁ〜。えらい人だなぁ〜」とのせられる。
そう言えば
大学時代に勉強したこと(ヒットラーか何かの本:忘れました(笑))で
「小さなウソは見破られるが、大きなウソは騙されやすい」というのがあったように記憶している。
(文言はあいまいですが・・・)
よく映画などでも身内(味方)が裏切るシーンがあり
そこで「まさかっ!」とさせられる。
もちろん、相手はその『まさか』の思いが大きければ大きいほど
その効果は増す。


話は元に戻って・・・。

早稲田へ行こうが、東大へ行こうが
人間である以上、程度の差はあっても
悪いコトするやつはするし、しないやつはしない。(ま、なりゆきでするやつはいるでしょうが・・・)
要は、その悪いコトするやつの割合が少ないだろうと
こっちが勝手に思ってしまって、勝手に判断してしまうのがイケナイ。
そういうこちらの先入観に
見事に付け入ることができるのがプロともいえる。

本当はダマされているんだけれど、
ダマされた本人はそれすら疑おうとはしない。

高等な騙しのプロは、相手に騙されたと思わせない、もしくは(少しランクは落ちるが)
お金を巻き上げた後で、
騙されたと思わることのできる(ダマされた方にとっては逆説的な意味でかなり親切)のが
King of 騙し=プロであるように思える。

詐欺師の手順も
程度の差はあれ、これに準ずるものがあろうかと思う。


むこうは知恵を絞って全力で、それこそ全身全霊でこちらにさりげなくボッタをかけてくる。
それに対して、こちらはほとんどノーガードの状態(危機意識ゼロ状態)で
これを受け止める。


BOXINGの試合で
初めから、ガードをせずに試合をする選手はいない。

将棋で
自軍の玉を囲まずして
戦いを挑む者も、あまりいない。

そういえば
黒澤明監督の映画『乱』のなかで
三男の若武者が老父に向かってこう言うシーンがある。

「古来より裏切ると申して、裏切る者などありましょうや!」

まさしくそうなのである。
「私ボッタマンですと言って、ボッタをするやつなどいないのである」


余談ですが
最近はいきなり、プチーンと切れて
(全く関係のない人に対して)刺して殺したりする事件が多いですが・・・。
でも人を刺すには刺すだけの理由が何某かあるわけで
「最近の若いもんは何を考えてるのかわからん」と(考えることに対して)逃げるのではなく
その理由と原因を学校や家族(嫁はん)に押しつけるのではなく
社会全体で考えないといけない時代なのかもしれませんね。
この問題を先送りしちゃうと、「明日は我が身」となることでしょう。
学級崩壊から、会社崩壊→社会崩壊へいきそうな気もします。
しかし育った環境が違うと、同じ国の人間でも
こうも違うのかと考えさせられますが、
時代というのは変わるのが当たり前で、
いつの時代もそうなのかもしれません。
余談終わり。


みなさんは、ゆめゆめ
そのようなことのないように。


地球ではボッタに気をつけ、楽しい人生を。

 

 
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